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「追風用意ふたたび」  2011.9月号

「袖触れ合うも多少の縁」の多少は誤字である。

多少であれば、

「袖が触れ合っただけでも、多かれ少なかれ縁である。出会いは全て貴重で大事にしなければならない」と言う意味に捉えられる。

正解は「多生」であり、「多生」とは、仏教用語で、人は「転生輪廻」を何度も繰り返し、ちょっと、袖が触れ合うだけでも、それは、過去の世での縁であり、「偶然」ではなく「必然」であるという事。

誤字の中に、「他生」もあり、「他生の縁」は「多生の縁」と同じとも書いてあるのを見かけるが、意味は全く違う。

他生」とは、「今生」に対し、「前世」と「来世」を示す。「前世」だけを捉えれば。多生の場合とよく似た意味にも理解できるが、この場合「多生」が正解だろう。

古今集「色よりも香こそあはれ誰が袖ふれし宿の梅ぞも」という和歌の解釈を考えてみると、梅の顔である色よりも、香りの方が・・・と捉えていいのではなかろうか。

誰が袖とは・・平安の頃匂い袋を懐中に偲ばせていた。その匂い袋のことを誰が袖と呼び、移り香を楽しんだ。その前は、女性は梅の花を摘んで衣のたもとにしのばせ、薫りをしみこませた。男性は橘の花でそうした。

そのようにさりげなくってことが、日本人の心の細やかさであり、徒然草の「追風用意」に繋がる。

本文にあるように、この頃のお姉さん達から、この「追風用意」で声をかけられるのは、「色(見かけ)よりも香こそあはれ・・」ってことに気が付く諸兄が増えられることを期待する。だからお香屋に急げ!!っていう文になったということ。

多情な若者の縁作りの天年堂です。よろしく!!

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